今日は、「魚のデッサン」について話をしたいと思っています。
私は昔、美術予備校で浪人をしていたんですが、その時、人間の存在や物の存在についてよく考えてしました。そこについて、デッサンを見せながら話していきたいと思います。
魚の汗│死んでいるが生きているもの

この魚のデッサンは、「アジの開き」を描いたものです。
私が美大への浪人時代に、人生悩みながら、人間の存在について考えたりとか、物が存在するということへの謎について考えていたんですが、その時に描いた魚の図です。
これはアジだったと思いますが、実はこれは壁に上から吊るして描いたものです。上の方から、魚が現れてくるような感じを出したくて、グラデーションを付けています。とにかくこの闇の中から、魚の存在がぬっと出てくるような感じを感じたんです。

まあ、魚自体はもう死んでるんですけど、何かこの、生きていた時の生命感っていうのは、死んだその死体である魚の中にも宿っているような感じがしたんですね。つまり、死んでいるだど生きているような感じを感じたんです。
で、、、、
この絵は「傷」を使って描いています。
どういうことかというと、指やクリップで、傷を紙につけて、その上に鉛筆で粉を乗せて描くとその部分が線として残るんですね。

何故傷をつけたのか?っていうと、生命力というか、死んだ後にも、その死体から出てくるエネルギーみたいなもの、周りに漂うエネルギーみたいなものってあると思うんですよ。そういったものを表現しています。
人間が死んだら魂の重さとして3グラムぐらい軽くなるっていうじゃないですか。そういうものが飛び出しているような感じです。
余談ですが、よく晴れた日に空を見ていると、赤と青のクオークみたいな粒子が飛んでるのが私は見えるんですよね。皆さんはそのような経験はあるでしょうか?

長時間壁につるして描くと、魚の油性分?が絞り出てきて顔に「雫」として垂れてくるのが見えました。それが魚の汗というか涙のようにも見えました。この絵のメインはこの魚の顔なんですが、なんとも生きているようです。
モチーフ選択の意味

こちらもアジのデッサンですが、別のアジです。先のアジよりも一年前に描いたデッサンです。こちらは机の上に置いて描きましたので、遠近感がでています。
アジの開きですので、これ2匹いるんじゃなくて、1匹の魚です。ですが開いた時に顔を擦り合わせているように見えますね。

デッサンをしながら感じたのは、死んでる魚も生きているように見えてくるということです。存在に魂がないようでもそこにあるように見えてくる。また、モチーフが面白いとデッサンもやる気が出てきます。
デッサンは修練とかトレーニングのために描くというより、やはり自分の絵を描いていくという目的で描くことで、一枚一枚、意義が出てきます。

このアジは顔に愛嬌がありました。
魚を描いた画家
もう一つ。当時この絵を描くにあたってインスピレーションを受けた作品を紹介します。
この絵は「鮭図」という、高橋由一という画家が描いた作品です。よく教科書に載ってるので、見たことあるかもしれません。

鮭がなんとも味のある感じで、一度見たら忘れられない絵です。これ見てなんか、鮭が死んでるんだけど、生きてるような顔をしています。私もいつか油絵で魚を描きたいと思ってるんですけども、最近は風景画ばっかり描いています。



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