こんにちは。実際この基のアートブログを立ち上げてから4年ぐらい経つんですが、何年か書いてると、記事を書くのは気が進まなくなってきて、なんとかコーヒーを飲んでやる気を出して書いているいるGemmaです。今日はキャンベスと柘榴のデッサンをお見せしながら、「絵で生命感を表す」っていうことについて考えていきたいと思います。
キャベツの水みずしさと生命感│表現するとは何か?

これは個人的にかなり気に入ってるデッサンで、2002年ぐらいに描いたものです。
当時、予備校で浪人していた時に描いたデッサンなんですが、キャベツをモチーフとして渡されたんです。で、自由にキャベツをダーンと台に置いて描きました。
キャベツって、1日経つと萎れてきちゃって、2日目からは形が変わっているんですよね。それが盲点でした。つまり、このキャベツの形は、一日目と二日目の時間が混在しているんです。
「時間が経つと形が変わる」っていうのは野菜デッサンや自然物のデッサンの難しさでもあり、面白さでもあると思うんです。いつも同じ形ばっかりしていたら、描いてても動きが出ないですよ。ただこの時間が存在し、形が徐々に変わっていくその姿を絵で捉えることが、写真ではできない、絵画でしかできない醍醐味だと思います。
絵全体的に、ただキャベツを描くんじゃなくて、その生命感を、いかに線と明暗と形で表していくのかを追求しています。やはりデッサンはただそっくりに描くのではなく、コンセプトがありそれを追求したものは作品として面白いし、いつまでも残りますね。
ここから人生にも目的とコンセプトが必要だと思わされます。

こっちは中心です。キャベツの葉脈。ここがメインになります。つまり一番絵で見せたかったところです。ここは一つ一つ追求してキャベツっぽさ表現したところです。ちょっと透き通ってるキャベツの水っぽさがうまく出たと思います。よく見ると描いてあるところは1ポイントだけで、周りは描いているけど、そこいまで描いてないように見せています。

その下側は手前奥の空間がかなりあります。
その奥行きをなんとか中心に向かって入り込んでる感じを出そうとしました。
葉っぱが手前に中心に下がっていく。
だからピントを一番手前に合わせるんじゃなくて、中心に合わせて手前にくるほどボカシています。空気っていうか、生命のエナジーが周りに漂っているような感じを、なんとか表現しようとしました。


これが左上と左下なんですけど、タッチで見せています。
ものの生きている動きってありますよね。動き=タッチ=生命感であることを、表現しています。

こっちは右側です。葉が影の中に溶けて溶け込んでいくような感じを出しています。影の中での存在していることが重要だと思うんですよ。
影の中で、物があるようでないような感じがそのキャベツ葉の影の中でのこの存在の定義です。
表現するってある意味言葉で定義できるもの=ロゴス化することで解ってくるということを感じます。
柘榴を描く│時について考える

今日2枚目はザクロのデッサンです。これは昔自宅で描いたものです。家にあったザクロですが、干からびているザクロですよ。ザクロって、乾燥すると確かこんな感じになるんですね。

なたはザクロ食べたことあるでしょうか?
私はたぶん人生で多分2回ぐらいしかないんです。
最近ですが、千葉に住んでる知り合いの方の家にお邪魔したときに、その方がザクロをご馳走してくれたんですよね。
で、その時に、「え、これ何の食べ物ですか?」って聞いてしまって、それがザクロだってわからないぐらいザクロを食べたことがありませんでした。


乾燥した柘榴がいいのは、面がしっかり分かれて描き甲斐がある=ゴツゴツしてします。
このデッサンでもザクロの周りの雰囲気、死んでいるというか乾燥してるけど、まだ生きてるような感覚を出したかったんです。それを、こうタッチや鉛筆の微妙なザラザラしてる、してないとか、そういう質感の違いで表現してるんです。
特にこの手前ザラザラ感、一度爪で下地に傷をつけています。その上に「テカリ」を、なんとか表現しようとしました。


デッサンは鉛筆の足跡を重ねたりすると、偶然すごく面白い感じになって、その時の時間すらも絵に込められるのがわかります。ここが写真とは全然違いますよね。
もう20年以上前のデッサンですが、まだそこに時間が流れているような感じがします。
写真で言うところの記録以上の、その場の時というか、そういうものを込めることができるものだと思うんですね。とても面白いです。そのようなことを考えたり感じたりるためにデッサンはとてもする価値があると思います











コメント
コメント一覧 (2件)
[…] キャベツ&柘榴のデッサン│時と生命感を込める […]
[…] キャベツ&柘榴のデッサン│時と生命感を込める […]